


旧吉野川の生い立ち
吉野川水系は、徳島県にとって多大な恩恵をもたらしていると同時に、『四国三郎』という異名を持ち、坂東太郎(利根川)、筑紫次郎(筑後川)と並び称され、大雨の時は洪水となり、古くから数々の水害が発生し、川沿いの住民をはじめ徳島県民を苦しめてきました。旧吉野川は吉野川水系に属し、かつては吉野川本流として流れていました。1672年(寛文12年)に蜂須賀綱通による治水事業により、当時存在した別宮川と吉野川(現旧吉野川)を最短距離でつなげ別宮川への分流が始まりました。しかし水のほとんどが別宮川へ流れ込み、洪水などで水道が大きくなり別宮川が本流となったため、1752年(宝暦2年)に吉野川第十堰の工事に着手し、吉野川(現旧吉野川)の水量を確保しました。1932年(昭和7年)に本流となった別宮川を吉野川、元々の吉野川を旧吉野川に改名し現在に至ります。
現在施工している工事の進捗状況
令和5年2月度進捗状況

向喜来地区





令和3年7月度進捗状況
令和3年6月度進捗状況
令和3年5月度進捗状況
想定されている
南海トラフ地震について〜 迫り来る大地震 〜
過去に発生した南海トラフ地震
過去に徳島県内に大きな被害をもたらした大規模地震として、慶長地震、宝永地震、安政南海地震、昭和南海地震が92年から147年の間隔で発生しています。
今後、南海トラフを震源とし30年以内に70〜80%の確率で発生することが予想されています。
(地震調査研究推進本部 算定基準日:令和2年1月1日)

(中央防災会議「東南海、南海地震等に関する専門調査会」資料を基に作成)
徳島県内における南海トラフ地震の記録 ※徳島地方気象台ホームページより
●1854安政南海地震

蛭子(えびす)神社の「百度石」(徳島市南沖洲)

●1946昭和南海地震

街の裏手の津波通過のあと
(牟岐町)

麦畑の地割れ(徳島市内)

田園の被害(牟岐町)

湾岸に上がった船【堤防の高さは水面から約2m(旧由岐町)】